マンスリーアーカイブ 6月 2018

岸本尚泰

kishimoto

いよいよ明日開演!! 演劇No.1イチオシ俳優 {岸本尚泰} masayoshi,kishimoto 今回は役者としてではなく 演出としてチームを まとめています。 浦添ゆいゆいキッズシアターの 子供たちと、 岸本さん始め、周りの大人達が 時間の許す限り情熱を注ぎ込んだ作品です! 演劇No.1も演出の岸本さんの 想いを一人でも多くのかたに お伝え出来ればと思います。 以下、岸本さんの 今作品にかける想い 6月23日 それは沖縄戦の組織的戦闘が終結した日とされ 当時、アメリカ施政権下の琉球政府は この日を『慰霊の日』と定めた。 1972年の本土復帰後は日本の法律が適用となり、慰霊の日は法的根拠を失う。 1974年「沖縄県慰霊の日を定める条例」を制定。 改めて6月23日を『慰霊の日』と定めた。 *【我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命 財産及び文化的遺産を失った冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受け止め 戦争による惨禍が再び起こることのないよう 人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため】 『Peaceful~』のことを書く前に 少しだけ過去の思い出を語りたい。 仲西小学校に入学した頃 新校舎が完成しましたがグラウンドは古く、取り囲む塀にもコケが覆っていた記憶がある。水はけが悪く 雨が降ればずっと水たまりが出来るようなグラウンドで、体育の授業をしていると 友人が鉄の小さな塊を見つけた。白髪混じりのおばあちゃん担任が「鉄砲の玉だね」と言ったので自分含め男子数人は興奮し、休み時間もずっと水たまりを覗き込んでは小さな鉄の塊を探していた。 他のクラスの担任は若く活発な先生に対し、1年1組の担任だけは たまに怒鳴る白髪混じりのおばあちゃん先生だった。隣のクラスが羨ましかったけど こっちの方が何だか温かみがあった記憶がある。 時折 戦時中の話しをしてくれて、涙を流すこともあった。今、そんな担任はなかなか存在しないのではないだろうか。貴重な体験だったと今では感謝している。 小学4年生まで慰霊の日が近くなると、名護に住んでいる『おばぁー』がバスに乗ってやって来る。 そして家族に連れられ 平和記念公園と ひめゆりの塔に行き、壁一面に刻まれた名前の前で友達を探していた。複数の顔写真のパネルが架けられてある壁の前で立ち止まり、1人の女性の写真を手で触れ泣いていた。 小学4年生の後半から少年野球を始めたので、高校3年生まで慰霊の日は部活のため『おばぁー』と過ごすことはなくなった。そのかわりお昼の12時になると決まって 仲間と黙祷をしていた。 その『おばぁー』はまだ元気であるが、認知症がはいり施設でお世話になっている。 今思えば、もっと、いろいろ話しが聞きたかった。 大学で鹿児島に行ったので『特攻隊』を知るきっかけとなった。 知覧にも行き、隊員が家族に残した最後の手紙の文章表現には驚き、年齢もさほど変わらない大人びた文章に「俺って まだまだガキだな・・・」って思わされた。 そして紆余曲折を経て わたしは就職はせずに、役者になっていた。 沖縄でたくさんの舞台に立たせて頂き、その中には沖縄戦の話も いくつかあり、沖縄戦を知るため本を読み、映画やドラマを役作りのために観ていた。すると、あることに気が付く、それは沖縄では日本兵が悪でアメリカ兵が優しかったという表現の多さ・・・だった。 たしかに、証言にあるように 日本兵は一般人を巻き込んでおきながら手榴弾を渡し自決しろとか狂気でしかない。壕で隠れている民間人を追い出し『鉄の暴風雨』にさらすとか国際的にも非人道的であり、泣いている赤子を アメリカ兵に見つかるから殺せと母親に強要し「殺せないなら俺が殺す!」と銃剣を突きつける。 もはや、日本兵は殺人鬼であり沖縄の人々は日本兵に苦しめられたという沖縄戦の描かれ方、ここまで読んで 気分を害される方がいたり、誤解を生んでしまうような表現を自分はしているかも知れない。まだまだ勉強不足ですが これが演劇をやって気づいたことで、そこから感じたことが疑問へとつながっていったのだ。 経験者であれば それが事実であり、恐怖の体験だったことだろう。食糧を与え、水を与え、子ども達にチョコを配ったアメリカ人は優しかったでしょう。 ところが、その『鉄の暴風雨』を降らせたのは優しかったアメリカ人であり、戦後 土地を強制接収し そこに住む沖縄人を追い出したのもアメリカ人。そして、地位協定の名のもと 犯罪を犯しても罰することが出来ないのがアメリカ人だ。 表現の世界で描かれる「沖縄戦」、戦争で日本人に苦しめられ、戦後はアメリカ人に苦しめられる悲劇の沖縄。でも、悲劇を演じられるのは沖縄だけだろうか? 日本を他国から守るため たった一枚の赤紙が届いたことで兵隊となり、命を落とした日本兵は? 自らの命と引き替えに特攻機に乗り込み 沖縄近海で撃墜された隊員は? 真珠湾で仲間を失い日本と戦うことを決意したアメリカ人は? 祖国の為と 恋人を残し戦場に立った兵士や帰りをずっと待ち続けるアメリカの家族は? 皆それぞれに愛する家族や恋人がいて 平和な未来を夢見ながら自分の国を守るため 争うことでしか解決できない時代を生き、遠く離れた この小さな島国 『沖縄』 にやって来て 何十万人もの人々が命を落としていった。太平洋戦争の時代を生きた全ての人が悲劇だったのではないだろうか。 話しを戻すと この疑問符は簡単であり難しく、解決できそうで解決できず 話せばわかるのレベルではなく 人種を越え 人としての世界観になり、戦争が人を変え 簡単に人を殺せる世の中が価値観をも変化させてしまう。 とりあえず、答えは 『戦争をしてはダメ』 の一言にいき着いた。 沖縄の言葉で言う 『命どぅ宝』、世界中の一人一人の人間が価値のあるものだと認識すれば 未来は明るいモノになるのかも、ところが人は争うことを止めることが出来ないでいる。 疑問への解決の糸口として 『戦争をしてはダメ』 という『信念』を持つこと! 漠然としたかたちでだが なんとなく落としどころをみつけていた。 そんなとき浦添市を拠点に活動する団体 『ゆいゆいキッズシアター』 と出会う。そこでは小学生から高校生までのメンバーが ミュージカルという手法を使い 『君とつなげる虹色』 という平和劇を長きに渡り上演していた。 印象としては、年齢や学校の違う子ども達が 歌やダンスやお芝居を通して コミュニケーション能力を身につけられ、講師もその道の方々がそろえられて稽古場や発表会の会場もプロや父兄の手によって整えられ、 万全のサポートで表現の場が与えられている凄く羨ましい場所に思えていた。 一方で、自分をアピールする場所であり、自分が輝ける場所であり、自分の居場所の為にあるようなこの場所が、目立ちたい子たちの集まりにしかみえなかった。平和劇を語り 戦争の悲劇を表現し、大切な人と人 家族をつなぐ愛の物語を表現していい場所とは 到底思えなかった。 なので創設者の町田宗正さん(故)から演技指導の依頼を受けるたび、何度も葛藤があったし、個人でも何回か話し合いもした。そのたびに町田さんは 「好きなようにガンガンやってください」 「本気でぶつかってください」...

帰宅部

kitakubu

asobu.第一回公演 『帰宅部』 公演日 8/4(土)18:00  8/5(日)13:00、18:00 ※全3回公演 ※開場は開演の各30分前です。 場所 アルテ崎山Aホール (〒903-0814 沖縄県那覇市首里崎山町3丁目34) チケット 一般2000円 高校生以下1000円 (当日500円増し) 作・演出 高安剛士(劇団5-4) 瞳美 岩田勇人(よしもと沖縄) 高安剛士(劇団5-4) 棚原奏 金城裕一 島仲涼花 神田新那 松田瑛美 川上真輝 國仲正也(asobu.) 舞台監督 森山鈴 音響・照明 asobu. 宣伝美術 大久保卯月 制作 asobu. 幸地尚子 special thanks 劇団5-4、よしもと沖縄、棚原栄作(STAGE OFFICE LUCE)、スタジオパフォ お問い合わせ